logo 義家弘介

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講師名 義家弘介(ヨシイエヒロユキ)
肩書き 前 自民党副幹事長元 文部科学大臣政務官、元 内閣官房教育再生会議担当室 室長、元 横浜市教育委員会 教育委員
生 年 昭和46年
出身地 長野県
講演ジャンル 教育、人生
候補に入れる 講演依頼・ご相談

◎演 題

「いま、生きるということ - 君はひとりじゃない - 」

◎経 歴

中学生の頃より不良と呼ばれるようになり、昭和62年高校から退学処分を受ける。同時に家からも絶縁され、児童相談所を経由し、里親に引き取られる。 63年北星学園余市高校が行った全国からの中退者本格受け入れの初年度、同校に編入。 平成2年明治学院大学法学部法律学科に入学し、弁護士を目指す。在学中にバイク事故で生死の境をさまよった時に駆けつけてくれた北星学園余市高校時代の恩師に影響を受け、教師志望に転向、卒業後は大手進学塾に就職。 11年母校・北星学園余市高に社会科教師として赴任、”ヤンキー先生”として親しまれ、不登校経験者らの指導に情熱を注ぐ。 17年同校を退職し、横浜市教育委員となる。10月からはラジオの若者向け人生相談番組「ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない」を開始。著書「ヤンキー母校に生きる」は、15年TBS「ヤンキー母校に帰る」としてドラマ化され、大反響を呼ぶ。 17年3月末日を以て、母校北里余市高等学校を辞める。4月、横浜市教育委員会教育委員に就任。 18年内閣官房教育再生会議担当室室長に就任。 19年東北福祉大学特任准教授に就任。参議院議員当選。 昭和46年   3月31日生まれ。 昭和63年   北星学園余市高等学校に編入。 平成2年    明治学院大学法学部に入学。 平成11年   母校・北星学園余市高校の教師になる。 平成15年   4月、ドキュメンタリー番組が放送され大反響に。       10月、「ヤンキー母校に帰る」がドラマ化。 平成17年   4月、横浜市教育委員会教育委員に就任。 平成18年   10月、内閣官房教育再生会議担当室室長に就任。 平成19年   4月、東北福祉大学特任准教授に就任。        7月29日、参議院議員選挙当選。 平成21年   10月、自民党政務調査会 文部科学部会長に就任。 平成22年   4月、自民党政権力委員会(ネクスト・ジャパン)教育・人材育成・文化・スポーツ担当大臣に 就任。     自民党長野県連政治スクール「信州維新塾」を開講。初代塾長に就任。       10月、自民党SC文部科学副大臣に就任。 平成24年   10月、自民党政務調査会文部科学部会長に就任。  SC(シャドウ・キャビネット)文部科学大臣に就任。       11月30日、日本再生のため参議院議員を辞職。       12月16日、神奈川県第十六区選挙区にて衆議院議員選挙当選。       12月27日、文部科学大臣政務官に就任。 平成25年   10月、文部科学委員会理事・北朝鮮による拉致問題に関する特別委員会理事に就任。       12月、自民党教育再生実行本部副本部長に就任。 平成26年 4月、松蔭大学特任教授に就任。        9月、自民党副幹事長に就任。       10月、地方創生に関する特別委員会理事に就任。       12月14日、衆議院議員選挙2期目当選。 平成27年   1月、文部科学委員会筆頭理事・地方創生特別委員会委員に就任。       10月9日、文部科学副大臣に就任。

◎義家弘介の著書

「ヤンキー母校に生きる」(文藝春秋) 「不良少年の夢」(光文社) 「まんが熱血!ヤンキー先生 母校と泣いた日」(ぶんか社) 「ヤンキー先生のたからもの 天使たちの詩」(光文社)
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)

Special Contents 特集:往年の名選手・指導者の講演

  • 萩野公介

    競泳金メダリスト

    「⾦メダルに繋がった⽬標設定」

  • 瀬古利彦

    「心で走る~復活の軌跡~」

    「心で走る~復活の軌跡~」

  • 内田順三

    元読売巨人・広島カープ2軍監督・野球評論家・野球指導者

    「打てる、伸びる!逆転の育成法 : 「脱・常識」の打撃開花術&心のケア・名選手成長秘話」

  • 攝津正

    元プロ野球選手 、スポーツコメンテーター

    『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』