山田恵里
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◎演 題
◆ 「今を一生懸命生きる~当たり前のことはない人生~」
・ 野球との出会い、野球とは何か?
・ 少年野球時代「女の子だけど...」
・ 中学野球時代「中学3年では1番センターの定位置を獲得。卒業後は甲子園を目指す」
男子の中で、定位置を獲得したメンタルコントロール、モチベーションとは?
・ 高校ソフト時代「女の子は甲子園に出場できない...」挫折と、ソフトボールに転向した訳とは?
野球とソフトボールの違いとは?
・ インターハイ二連覇の裏側とは?
・ 「自身の練習法、試合に臨む時のルーティンなど」
・ オリンピック出場「2004、2008、2021年とソフトボール日本代表に選出。それぞれの
結果とは...」
・ 「なぜソフトボールを続けるのか?」
・ 「ソフトボールのオリンピック復帰まで自身がだした行動とは?」
・ 「2020年 オリンピック復帰決定!」
・ 「常に感謝の気持ちを持って前へ」その意味とは何か?
・ これからの目標、伝えたいこととは?
◆ 「結果を出し続ける思考法」
ソフトボールを始めたきっかけは中学卒業後に甲子園を目指していたが、
女子は出場できないと知ったことでした。そこから高校インターハイで2連覇。
実業団では数々の記録を塗り替え、15年以上もトップレベルで活躍し海外リーグにも参戦。
3度五輪に出場しチームの銅、金、金と3度のメダル獲得に貢献。
どんな時でも自分には何が足りないのか、どうすればもっと成長できるのかを考えることで
結果が出し続けることが出来ました。
そのためには継続していくことが大切なのです。結果を出し続けるために必要な思考法を
お話しします。
◆ 「夢を諦めなければ必ず叶う」
北京五輪、東京五輪で金メダルを獲得したチームの主将として活躍し、卓越したセンスから
「女子ソフトボール界のイチロー」と呼ばれていますが、そこに辿り着くまでに多くの困難や
壁がありました。
それを一つずつ乗り越えることで長年トップ選手としてプレーし、自分の夢を叶えてきました。
小学校時代からの野球・ソフトボール人生を交えながら夢を諦めなければ必ず叶うという
熱いメッセージをお伝えします。
◎経 歴
小学1年の時、兄がいた少年野球チームにはいり、野球を初める。中学入学後は、
男子の野球部に所属。中学3年の時には不動の1番バッターをつとめた。高校入学と
同時に、女子は甲子園には出場できないと知り、高校からはソフトボールを始める。
高校2年、3年と、インターハイ優勝。
高校卒業後、日立製作所に入社。日本リーグで本塁打王、打点王、ベストナイン、
新人賞を獲得したほか、シーズン最多打点、最多得点、最多二塁打、最多盗塁、8連続
安打のリーグ記録を打ち立てる。
2003年 日本代表でジャパンカップ優秀選手賞を獲得し、日本リーグでもベストナインに
選ばれる。
2004年 アテネオリンピック女子ソフトボール日本代表に選出。銅メダル受賞。
2008年 北京オリンピック女子ソフトボール日本代表に選出。主将も務め、金メダル受賞。
同年、紫綬褒章受章。
2013年 アメリカ女子プロソフトボールリーグ(NPF)に参入している「シカゴ・バンディッツ」に
練習生として所属し、日本リーグのオフシーズンにプロリーグに参戦。
2014年 NPFに参入している「ダラス・チャージ」に所属し参戦。
2020年 12月31日、日本女子ソフト1部リーグ 日立製作所退団。
2021年 2月1日付で同リーグのデンソーに移籍。
2021年 7月25日に行われた横浜スタジアムでの東京オリンピック、カナダとの予選リーグ
で延長8回裏に、一死満塁でセンター前ヒットを放ち日本の決勝進出、金メダル獲得に
大きく貢献した。
【主な成績】
日本リーグで以下の部門で通算で歴代1位になっている。
・ 通算安打: 362本
・ 通算二塁打: 47本
・ 通算三塁打: 16本(1位タイ)
・ 通算本塁打: 40本
・ 通算打点: 182打点
◎山田恵里の著書
※その他(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)