パンチ佐藤
講師名 |
: |
肩書き |
: |
生 年 |
: |
出身地 |
: |
講演ジャンル |
: |
◎演 題
『チャレンジ』
夢、希望を実現のものにするためには、個人の努力はもちろんのこと、野球(組織)=チームプレー(共同作業)=コミュニケーションが重要。「気配り」「気をまわす」ことの大切さ。1つ先、2つ先を見て動く。等・・・。
(学園祭などの学生や若者を対象とした場合など)
・パンチ佐藤自らの35年間の半生、その生き様の柱として・・・
・身長177㎝の男が、何故ドラフト1位でプロ野球(オリックス・ブレーブス)から指名されたのか・・・。
・好きで始めた「野球」が「仕事」となるプロセス。学生時代、就職(実業団)そして、プロの世界へ・・・。すべてがチャレンジ!
・夢、希望を実現のものにするためには、個人の努力はもちろんのこと、野球(組織)=チームプレー(共同作業)=コミュニケーションが重要。
・「気配り」、「気をまわす」ことの大切さ。1つ先、2つ先をみて動く。などなど。
・そして、プロ野球世から、芸能界への転身の決断とチャレンジ。
『仰木マジックによる部下操縦法』(チームプレー)
上司と部下、監督と選手、親と子供など、人間関係・社会生活に「言葉」(コミュニケーション)がいかに大切か・・・。プロ野球時代、上田、土井、仰木と3人の監督の指揮下での体験談を通して、その選手(部下)の操縦法の違い。イチローとパンチ佐藤との操縦法で見る“仰木マジック”とは・・・。「野球」というチームプレーなど、スポーツを通して学んだことなど・・・。
『人生、山あり、谷あり、笑いあり』
(企業や一般の方々を対象とした場合)「チャレンジ」と同様に、自身の半生での体験を内容の柱として・・・。
・学生時代、サラリーマン(実業団)時代、そしてプロでの5年間。「野球」というチームプレーなど、スポーツを通じて学んだこと。
・上司と部下、監督と選手、親と子供など、人間関係・社会生活に「言葉」(コミュニケーション)が、いかに大切か・・・。
・プロ野球時代、上田、土井、仰木と、3人の監督の指揮下での体験談を通じて、その選手(部下)の操縦法の違い。
・イチローとパンチ佐藤の操縦法で見る 仰木マジックと・・・。
『パンチ佐藤の子育て日記』
◎経 歴
小学校入学前から野球を始め、神奈川・武相高、亜細亜大学を経て、昭和62年熊谷組に入社。
1年目からレギュラーとなり、平成元年都市対抗野球で史上2人目というサイクルヒットを記録。同年全日本代表。
2年ドラフト1位でオリックスに入団。独特のキャラクターで人気を集める。
6年登録名をパンチとするが、シーズン終了後引退。通算成績は260打数71安打、3本塁打、26打点。引退後はタレントとなり、バラエティー番組や旅・グルメ番組などに出演。俳優としても活躍。
16年テレビ「めざましどようび」(フジ)でスポーツキャスターを務める。
現在は「人生はマラソンだ!」をモットーに“スポーツ応援団、人生の応援団”としてフットワークよく芸能・文化活動を展開している。
1964年 12月3日、神奈川県生まれ
1983年 神奈川県武相高等学校卒業
1987年 亜細亜大学経済学部卒業後、熊谷組入社
(記録)
88年都市対抗首位打者
89年都市対抗サイクルヒット
2年連続社会人ベストナイン
1988年 都市対抗首位打者
1989年 都市対抗サイクルヒット2年連続社会人ベストナイン
1990年 ドラフト1位で、オリックスブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)入団
(記録)
・通算149試合、260打席、71安打、3本塁打
26打点、生涯打率2割7分3厘
・91年パ・リーグ東西対抗MVP
1994年 現役引退、芸能界で第2の人生をスタート
1997年 初のフルマラソンを完走
2002年 初めてのCDを発売
◎パンチ佐藤の著書
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)