logo 青島健太

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講師名 青島健太(アオシマケンタ)
肩書き スポーツライター、キャスター
生 年 1958年
出身地 新潟県新潟市
講演ジャンル 野球、モチベーション、リーダーシップ、夢、挑戦、人生、地域活性、人材育成
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◎演 題

◆「チャレンジを恐れるな」 ◆「夢の実現、チャレンジのすすめ」  野茂英雄のチャレンジにはじまり、メジャーリーグで大活躍を続ける日本人選手たち。イチロー、松井秀喜、松坂大輔等々…。 日本で生まれ、日本流の野球の中で育った彼らが、メジャーリーグで臆することなくプレーする秘訣は、いったいどこにあるのでしょうか。 この時代に求められるのは、失敗を恐れないチャレンジ精神。 見えてくるものは、挑戦(チャレンジ)することの大切さ。チャレンジなきところにチャンスなし。 ビジネスに、人材教育に、是非聴いていただきたいチャレンジのすすめです。 ◆「何事も前向きにひたむきに - 野球で学んだこと」  社会人野球(東芝)時代から27歳でヤクルトにプロ入りをするまでの経験談、そしてプロになって思い知るプロ野球選手としての条件を、お話致します。プロ野球選手として華々しいデビュー(初打席初ホームラン)を飾りながらも、5年間で引退することとなった青島氏自身がスポーツライターの観点から当時を振り返り、前向きな姿勢、考え方、エネルギーについて講演致します。 ◆「組織の活性、人を育てるマネジメント」  選手の力を引き出し、魅力あるパーソナリティー力 で組織を動かすそれぞれの指導者。人を育て、活力ある強い組織をつくるには、どうしたらよいのか? 現役時代に選手の立場から見た監督、スポーツライターとなり客観的に見た指導者、その後自身も社会人野球で監督を経験することによって、さらに深みを増したリーダーに対する考察。リーダーシップや組織論として、ビジネスに応用できる話も満載です! ◆「元気のレシピ(つくり方)」  満たされない環境にあるからこそ、それをエネルギーにパワーが出る。逆境こそ、歓迎すべきエネルギー源です。スポーツはそのメカニズムをわかりやすく教えてくれる。

◎経 歴

1958年(昭和33年)4月7日新潟県新潟市生まれ。6歳から埼玉県で育つ。 埼玉県草加市立花栗小学校、草加市立栄中学校、埼玉県立春日部高校、慶応義塾大学(法学部政治学科)、株式会社・東芝と進み、1985年(昭和60年)ヤクルトスワローズに入団。同年5月11日の対阪神戦(神宮)でプロ野球史上20人目となる、公式戦初打席で初ホームランを放つ。  5年間のプロ野球生活引退後のオフ、新しい人生を模索中に、東京広尾の図書館で知り合ったオーストラリア人との会話がヒントになり、オーストラリアへ日本語教師として渡る。そこで知り合った人々との交流を通して、厳しいプロ野球生活の中で忘れかけていたスポーツをする喜びや、楽しみ方を思い出し、スポーツの素晴らしさの伝え手となることを決意し帰国。スポーツライターとして新しい道を歩み始める。  五輪キャスターは、1994年リレハンメル五輪、96年アトランタ五輪、98年長野五輪、2000年シドニー五輪、2002年ソルトレークシティー五輪、2004年アテネ五輪と務め、サッカーW杯も、94年アメリカ大会、98年フランス大会、2002年日韓共催大会をキャスターとして取材する。 現在は、あらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。また現在は、鹿屋体育大学、日本医療科学大学の客員教授も務めている。 1974年 埼玉県草加市立栄中学校卒業 1977年 埼玉県立春日部高校卒業 1981年 慶応義塾大学法学部政治学科卒業 1981年 株式会社東芝入社(広告部) 1985年 ヤクルト・スワローズ入団 1989年 シーズン終了後、同球団退団 1990年 オーストラリア・ビクトリア州にて日本語教師 1991年 帰日 以後スポーツ・ライターとして執筆活動開始

◎青島健太の著書

「長嶋的、野村的」(PHP研究所) 「父と子のキャッチボールのススメ」(スキージャーナル)
※ランクA(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)

Special Contents 特集:生きること

  • 植木理恵

    心理学者、臨床心理士

    「人生が面白くなる心理学」

  • 辻トオル

    肺ガンのシンガー・ユーチューバー

    「死ぬまで楽しく」

  • 吉田たかよし

    医学博士、心療内科医

    「この国のゆくえ」

  • 中野信子

    脳科学者、医学博士、認知科学者

    「『運』を科学する~運がいい人の行動パターン~」