古賀稔彦
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◎演 題
「人生の教科書」
夢を実現するために、決心するということが大切です。
そして、自分に自ら目標を与える。
そうすることで自主的に目標に挑戦していくことができます。
その過程で幾度となく壁にぶつかることでしょう。
しかし、ピンチこそ最大のチャンスなのです。
100%の力を出し切ってそのピンチを切り抜けていくと、
待っているのは前よりずっと成長した自分なのです。
あきらめからは、決して何も生まれません。
「自分で問題解決できる選手を育てる」
谷本選手がアテネ五輪、北京五輪で金メダルを取れたのも、
「ぶれない目標」 があったからです。
私の指導の基本は、選手自身の問題解決能力を高めさせること。
つまり「自分で闘える選手」を育てるのです。
「自分はどうなりたいか」、「それに向けて何が必要か」を見つめ直し、
決心させる。こういった指導者としての姿勢は柔道はもちろん、
組織の中や社会生活でも、同じではないでしょうか。
「世界を獲った男、その生き方」
「夢、目標にチャレンジ~挑戦する事の大切さ~」
※下記のテーマでの
対談形式(MCとのトークショー)もおすすめです。
<学校・PTA向け >
・「子育て(教育)」
・「家族」
<企業・病院・公益法人・各種団体向け>
・「健康」
・「ボランティア」
・「地域奉仕」 など
◎経 歴
1967年福岡県生まれ、佐賀県出身。
東京・世田谷の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇。
日本体育大学進学後"平成の三四郎"の異名をとり、世界選手権2階級制覇をはじめ、ソウル、バルセロナ、アトランタと3度のオリンピックに挑戦している。
1992年のバルセロナ五輪では、大会直前に左膝内側側副靭帯損傷の大怪我を負いながらも
金メダルを獲得。また、1996年アトランタ五輪では銀メダルを獲得。
2000年4月、現役を引退し、「指導者」として、全日本女子柔道コーチを務めるかたわら、
2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。
2004年のアテネ五輪では、金メダルを獲得した谷本歩実のコーチとしても脚光を浴び、愛弟子を称えた抱擁のシーンは感動を呼んだ。
2007年4月から岡山県のIPU環太平洋大学体育学部体育学科教授、並びに女子柔道部総監督を務めている。
2010年全日本学生柔道体重別団体優勝大会において女子柔道部創部4年目で初優勝の快挙、また、
2011年の同大会で2連覇を達成。
2013年全日本学生柔道優勝大会女子5人制でも2連覇を達成。
2008年、日本健康医療専門学校校長に就任。
2008年4月弘前大学大学院医学研究科博士課程に入学。
2012年3月同大学を卒業し、 医学博士号を取得する。
2014年4月より全日本柔道女子強化委員に就任。
【 主な戦績 】
●弦巻中学生時代
全国中学校選手権大会 2年 団体 一位、3年 団体 二位、個人 一位(71kg級)
●世田谷学園時代
金鷲旗大会 2年 団体 一位、 3年 団体 一位
インターハイ 2年 個人 一位(71kg級)、3年 団体 二位、個人一位(71kg級)
フィンランド国際大会 3年 個人 一位(71kg級)
●その後の実績
87~92 全日本選抜体重別選手権 一位(71kg級)
88~92 全日本体重別講道館杯 一位(71kg級)
87 ドイツ世界選手権 三位(71kg級)
88 ソウルオリンピック 三回戦敗退(71kg級)
89 ユーゴスラビア世界選手権 一位(71kg級)
91 スペイン世界選手権 一位(71kg級)
92 バルセロナオリンピック 金メダル(71kg級)
95 幕張世界選手権 一位(78kg級)
96 アトランタオリンピック 銀メダル(78kg級)
◎古賀稔彦の著書
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)